ブログ愛読者様より、
「チャーリィさんの経歴って、若いときなんだかよく分からないけど、飛行機のなんでも屋みたいな感じなんですよね?」
というご質問をいただいたので、まあ話が長くなるがいくつかに分けて書いてみます。
先日も書いたが、東京下町の貧乏団地で育ち、高等教育は必要ないという母の宗教どっぷりの教えのため
高校のときに、フロリダの飛行学校の説明会に行き、入学案内を持って帰るも撃沈!
なので、高校を出て二年間 添乗員などのバイトをしてアメリカに行く資金を貯めた。
アメリカに行く目的は、将来航空会社に入りたい(外資系)、そのためには英語を学びたい、PILOTライセンスも取りたいという動機
こうして免許をとり一人で飛べるようになったけど、飛行学校はみんな親の潤沢な資金で学校に行っていて飛んでるので
ここで飛べない(お金がなくて)さらなる免許をとるお金がない、生活もキツイという、今で言うと親ガチャのハズレ
産まれた家のお金の格差、教育の考え方の違いを知る。
とりあえず生活しなければならないので、飛行学校の親会社で英語もできないのでバイトをさせてもらい
朝は町の無料の英語学校、昼から飛行学校で飛んで、空き時間はバイトをして食いつないでいた。
バイトは会社の文房具買ってこい、とか、アメリカ人のランチを買ってこい、などでそうすると英語ができるようになるわけよ。
めちゃくちゃ実践的だし、もちろん間違いも多いけど、それで怒られて覚える。アメリカだけど昭和のノリです。
会社も「できるできないは聞いていない、とにかくやれ」「お前の意見は聞いていない、やれ!」という社訓であった。
この時の貧乏仲間は、「先輩 氷食っても腹一杯にならないんですけど・・・」と言い合うようなLAで貧乏生活を送っていた。
アメリカで貧乏=治安がビミョーなところにしか住めない、車もぼろい=止まる(壊れて)という生活であった。
まあこれが第一部である。