先日 経歴の第一部を書いたが、
その続編
毎日英語漬け、90年代なのでネットやスマホはない
会社はCL601チャレンジャーというメインのプライベートジェット機を運航していて、子会社が飛行学校
その創設者であり副社長(アメリカなので外国人が代表で航空会社はできない)ので代表はアメリカ人社長にしていた
その副社長が我々が大変お世話になった面倒見が良い方で、元J〇Lの機長だが、女〇問題で会社を辞めましたという方(クビか?)
まあDC6、DC8、747に乗っていた方で、白い滑走路にも出ていたグレートキャプテン
その方がいたからバイトをさせてくれた。おかげで英語漬けの生活で半年もすればだいぶ英語もできるが
ちゃんとした学校に行っていないので、日本人ができる英語はできない
つまりSVOCとか関係代名詞とか、そういう受験英語を言われてもサッパリ分からないが仕事の取引できるくらいので英語力がついた。
そうこうしていると、メインの機材(稼ぎ頭である)プライベートジェット CL601チャレンジャーが事故にあい(死傷者なし)
詳しい事故報告はこれ
https://www.baaa-acro.com/crash/crash-canadair-cl-601-3a-challenger-bassett
(この機体)ちょうどそのころ、ヘリコプターツアー(チャーター会社だったので、日本でいう航空運送事業、要するにお客さんを輸送して良い免許を会社がもっていたので、日本人向けヘリコプターツアーがスタートして、LAからグランドキャニオン行きのツアーもスタートすることになり、
若いけど、訓練生以外の若手スタッフ(日本語ができる)は私しかいないので、マネージャー兼営業、兼飛行機手配、調整、副操縦士、客室乗務員のなんでもこなすミッション(ブラック企業)がスタートするのであった。
客室乗務員(機内通訳)として、自分が手配した機体に乗る(チャーター機の契約手配、支払い、乗務までなんでも屋)
写真右下の日付は95年
つまり小さい機体で済む人数の場合は、15人乗りのバスを運転してLAのホテルをまわりお客さんをピックアップ
セスナ421、PA31などの機体の副操縦士としてグランドキャニオンへ飛び現地でガイド、
15時にグランドキャニオンを出て17時にLAに到着してお客さんを送り、その足で夜のヘリコプターツアーのお客さんを
ピックアップ
もう一人のスタッフは、ヘリのお客さんが空港に到着する前は、翌日のグランドキャニオン行きの飛行機が
自社機だけで足りない場合、電話で手配するという業務をするのであった。
当然英語必須でしょ