迅速FEDEX

自分の車のパーツは必要に応じて自分で探すこともある。

そんで今回、リビルト(壊れたパーツを送れば、修理済と入れ替え)の品のため、

アメリカはニュージャージー州へ部品を送ることに

 

郵便局へ出向いたが、手続きが煩雑なのでキャデラックで成田のFEDEXへ(事前にWEB手続き済)

そんなに急いでいないけど、今どき船便ってわけにいかない

重量350gと軽いし

 

そんで夕刻発送すると、

Tracking(追跡可能)でその夜発に載せたみたいで、翌日はFEDEXのハブのメンフィス到着

二日かからずにニュージャージー州へ到着。

めちゃくちゃ速いぜFEDEX、

自分の小荷物が飛行機で運ばれているのを追跡できるのは、なかなか楽しい

 

この間は英国からパーツを買ったが、英国からCDG(パリ・シャルルドゴール)を経由してNRTへ

貨物便のトラッキング、おもしろいぜ・・・

JET右席も可

私が沖縄撮影に行く、数日前、お仲間というかお世話になっているセレブの方が

プライベートジェットで沖縄へ

その際の写真をいただいて、ブログ掲載許可もいただいたので見ていただきたい

サイテーション(小型プライベートジェット)で八尾からテイクオフ

操縦練習許可証をもっているし、この機体はワンマンパイロットなので

右席に着席可、(合法)

つまりジェット操縦(体験)ができる

操縦しなくても、右席に座るのはできる。

写真はイメージ

後ろ席でお連れの方は、ドンペリ

那覇到着

ここからヘリに乗り換えラクジュアリーなリゾートへ

ちなみに、その方は会社員なので1泊2日で帰路へ

帰りのJALファーストでは、客室乗務員の方がサイテーションの操縦を知っている方だったそうで

帰路のA350ファーストも快適だったとのこと

どうよ、こんなジェットの使い方、

会社員の貴方もできます。機体用意できるよ!

後ろ席もいいよ~

燃料給油完了!満タン入りました!

JETの合間を抜けてTAKE OFF

穀物運搬船、甲板上にヘリパットが見えたが、そこが開いて穀物倉庫になっているわけね

この辺の景色は最高!

前席(操縦)だと、

緊急着陸時は・・・Engine Instruments All Green(エンジン計器正常)、

Caution Lights, Warning Lights Off(警告灯消灯)、

We have a Fuel(残燃料確認)

と慣れていないので、しょっちゅう計器を見ていなければ落ち着かないが、

後ろ席はお客なので、気にしない。

こちらはハレクラニ沖縄

沖縄は空港しか知らなかったが、今回ちょっと北まで足を延ばし、飛べたので

沖縄の魅力を再発見!

まあハレクラニとかはホテルライフを満喫 の方にはいいけど

「晴れた!空港行こう!」と思う私のような人向きではありません・・・

でも素敵そうでした。

嘉手納基地Day2

この日も午後は嘉手納基地

道の駅 嘉手納の展望台、めちゃくちゃいいでしょ!

ウォッチング環境は最高、光線は午後がGOOD

ふむふむ、これがB747と受注争いをして買った、アメリカ軍の輸送機C-5ギャラクシーか

しかし、今はエンジン音静かね~

そこいらのB767の方がうるさいんじゃない、

ほら、B737-800も来たよ!

なんだかP-8ポセイドンとか言うらしいが、要するにB737

しかもB737-800だけどウイングレットではなく、B77-300ERのようにレイクドウイングチップ

翼端が後退しているヤツ

さらには

ボディ下見てよ、変なアンテナが装備されている。

まあ潜水艦ハンターの機体らしいので、NAVYだしね

そして、定期便?民間機も到着

オムニエアのB767-300ER、

来てよかったぜ!

ガソリンスタンドへ

沖縄ヘリフライト

南へ下ると、おお~嘉手納アプローチのKC-135だ!

帰りはE-3セントリーも飛んでいたけど、距離が遠すぎて撮れず

ここが嘉手納基地のFINAL Approachコース

まあ空域外なので問題なし、さらに嘉手納基地にアプローチするにはこのパス角だと

低すぎるぜ。

日本のATC(航空無線)だとRequest your control zone, だがアメリカの管制なので

Request Transitionの方が望ましい(今回は空域外なのでしゃべる必要なし)

那覇タワー、「こちらはノースヘリパットに着陸したいんさ~」

燃料給油したいんさ~

ターミナルを西側から見るとこういう風に見えるのか

お隣は沖縄県警のAW139、でかいぜ!

この日は視程40km、

やはり飛行機写真はコンディションが全てだよね~

初めての嘉手納

那覇の中部というか、北部というかわりと北よりのところで午前中ヘリ空撮ミッションのため

午後那覇空港に行っても光線がよろしくない

そのため、初めて嘉手納基地へ行ってみることに

「道の駅 嘉手納」めちゃくちゃ立派じゃん!

補助金とかここなら入っていてもおかしくないレベル

まあ軍用機は興味ないが、輸送機は興味あり

機体はフライトレーダーに出ない(出るものもあり)ので、エアバンドを聴くが

ふつうは118.2とか124MHzとかの周波数が、軍用なのでプライマリー(メイン)周波数が300代と

初めて聴く周波数に合わせる

 

すると、バリバリ アメリキャーンなATC(航空無線)が

そんで目の前で空中給油機がタッチ&ゴー

嘉手納ベースなので、鳥居にシーサーのTail

まあ型式はKC-135だが、私的にはボーイング707(若干違うがほぼ同じ)と思って撮っているので

楽しい

そんで、この日の大物がコレ

RC-135コブラボール

以前ハワイで撮影したことがあるが、見るからにめちゃくちゃ怪しい

謎のアンテナ多数、右翼は艶消し黒、変な出っ張りもあり

 

当機は北朝鮮の飛翔体の弾道解析などで飛んでいて、日本のためにも役立っている機体である。

そのほか、F15だか戦闘機も飛んだけど、あんまり興味なし、

だがこの他にもC130など輸送機が撮れて満足である!

恥ずかしい焼け方に・・・

沖縄ヘリ空撮ミッション

ドアオフ、良い子はマネしないように(笑)

そんで、万が一に備えて命綱を装着

ただし、これさ、海上で不時着した場合は切り離さないと機体と一緒に俺も沈むぜ・・・

あった方がいいのかない方がいいのかビミョーである(笑)

沖縄のビーチ上はめちゃくちゃキレイよ~

自分で操縦すると景色より計器と空域を気にしないといけないので、後ろ席がいいであります!

ただし短パンで撮影していると、降りたら大変な事に

右足だけ日焼けで痛い・・・

汚い足で失礼いたしましたが、恥ずかしい焼け方だぜ(笑)

登録免許費

4月2日にワシントン州でヘリパイロット実地試験に合格

アメリカでは、その直後からパイロットとして飛べるが、本免許が二か月後に日本に届き、6月に書類準備

6月中旬から東京航空局に、提出書類の一つであるフライトログブックの修正4回行き、受理が7月下旬

その後FAAにライセンスの有効性の確認が行われ、8月中旬に登録免許費を支払うようにとの通知がようやく来た

書類を郵送手続き

おそらく月末にはライセンスが届くだろう。

つまり最短で試験合格から5か月で、日本の免許発行。

これでも飛行機のライセンスあるからで、イニシャル(免許なしからのスタート)だとさらに、法規の試験が必須、合わせて身体検査と航空無線資格がいるのでさらに時間がかかる。

免許が来ないと飛べないし、新米だから飛ばないと腕が落ちるし、もう少しスムーズにならないものだろうか

ちなみにアメリカでは試験合格した日から飛べるのである。

昔のBeeper

日本語でポケベル、だけど当時アメリカ在住だったのでBeeper(ビーッっと鳴るから)とかPager(Paging 呼び出しするから)と呼んでいた。

古い写真をスキャンしていたら

ベルトについているのがPager(ポケベル)

これで会社から呼び出されると 25セントコインを使い電話を入れる。

内容はたいがい

「明日のグランドキャニオンフライト、人数が増えて飛行機が足りなくなったから、機体を探せ」

もしくは

「ウチの機体が壊れたから、(他社)の機体を探せ」というもの

なので、ボロイので 「ボロシェ」とバカにされていたポルシェ914で会社に行き

飛行機探し(ネットは存在しないので、電話)をするわけよ

これが当社自慢のCessna421 GOLDEN EAGLE

与圧されていて、ライバル機よりも速い!

そんで、バスの運転手&コーパイ&現地ガイドで乗って行くのさ。

おかげさまで英語力が鍛えられました。

Mamiyaのポジ

フィルム時代最後のカメラマンとしてお仕事をしていたが、

飛行機を撮るのは当然35㎜ポジフィルム

しかし、ポスターなどに使用するには35㎜では解像力が足りず、6X7や645のポジフィルムを使用

なので海外ロケは6X7や645のカメラとレンズを持参せねばならず、今より荷物が格段に多い

 

そんなフィルムが押し入れから発掘された

よく鉄ちゃんは PENTAXの6X7の人が多かったが、重い

なので私はMamiyaでした。

645も確かMamiyaだった気が・・・

こんな写真、今さらどうするよ・・・

デジタル化しても使われないだろうしさ、ウチのCanon 900F MarkIIじゃスキャンできないぜ

 

ポラ(ポラロイド)切るのもMamiya645にポラパックをつけて機内食撮り

クライアント様に見せていた。

Mamiya7 プエルトリコのサンファンにて、2000年撮影

いや~こんな事を語っているということは歳を感じるぜ・・・