ガソリンスタンドへ

沖縄ヘリフライト

南へ下ると、おお~嘉手納アプローチのKC-135だ!

帰りはE-3セントリーも飛んでいたけど、距離が遠すぎて撮れず

ここが嘉手納基地のFINAL Approachコース

まあ空域外なので問題なし、さらに嘉手納基地にアプローチするにはこのパス角だと

低すぎるぜ。

日本のATC(航空無線)だとRequest your control zone, だがアメリカの管制なので

Request Transitionの方が望ましい(今回は空域外なのでしゃべる必要なし)

那覇タワー、「こちらはノースヘリパットに着陸したいんさ~」

燃料給油したいんさ~

ターミナルを西側から見るとこういう風に見えるのか

お隣は沖縄県警のAW139、でかいぜ!

この日は視程40km、

やはり飛行機写真はコンディションが全てだよね~

初めての嘉手納

那覇の中部というか、北部というかわりと北よりのところで午前中ヘリ空撮ミッションのため

午後那覇空港に行っても光線がよろしくない

そのため、初めて嘉手納基地へ行ってみることに

「道の駅 嘉手納」めちゃくちゃ立派じゃん!

補助金とかここなら入っていてもおかしくないレベル

まあ軍用機は興味ないが、輸送機は興味あり

機体はフライトレーダーに出ない(出るものもあり)ので、エアバンドを聴くが

ふつうは118.2とか124MHzとかの周波数が、軍用なのでプライマリー(メイン)周波数が300代と

初めて聴く周波数に合わせる

 

すると、バリバリ アメリキャーンなATC(航空無線)が

そんで目の前で空中給油機がタッチ&ゴー

嘉手納ベースなので、鳥居にシーサーのTail

まあ型式はKC-135だが、私的にはボーイング707(若干違うがほぼ同じ)と思って撮っているので

楽しい

そんで、この日の大物がコレ

RC-135コブラボール

以前ハワイで撮影したことがあるが、見るからにめちゃくちゃ怪しい

謎のアンテナ多数、右翼は艶消し黒、変な出っ張りもあり

 

当機は北朝鮮の飛翔体の弾道解析などで飛んでいて、日本のためにも役立っている機体である。

そのほか、F15だか戦闘機も飛んだけど、あんまり興味なし、

だがこの他にもC130など輸送機が撮れて満足である!

恥ずかしい焼け方に・・・

沖縄ヘリ空撮ミッション

ドアオフ、良い子はマネしないように(笑)

そんで、万が一に備えて命綱を装着

ただし、これさ、海上で不時着した場合は切り離さないと機体と一緒に俺も沈むぜ・・・

あった方がいいのかない方がいいのかビミョーである(笑)

沖縄のビーチ上はめちゃくちゃキレイよ~

自分で操縦すると景色より計器と空域を気にしないといけないので、後ろ席がいいであります!

ただし短パンで撮影していると、降りたら大変な事に

右足だけ日焼けで痛い・・・

汚い足で失礼いたしましたが、恥ずかしい焼け方だぜ(笑)

登録免許費

4月2日にワシントン州でヘリパイロット実地試験に合格

アメリカでは、その直後からパイロットとして飛べるが、本免許が二か月後に日本に届き、6月に書類準備

6月中旬から東京航空局に、提出書類の一つであるフライトログブックの修正4回行き、受理が7月下旬

その後FAAにライセンスの有効性の確認が行われ、8月中旬に登録免許費を支払うようにとの通知がようやく来た

書類を郵送手続き

おそらく月末にはライセンスが届くだろう。

つまり最短で試験合格から5か月で、日本の免許発行。

これでも飛行機のライセンスあるからで、イニシャル(免許なしからのスタート)だとさらに、法規の試験が必須、合わせて身体検査と航空無線資格がいるのでさらに時間がかかる。

免許が来ないと飛べないし、新米だから飛ばないと腕が落ちるし、もう少しスムーズにならないものだろうか

ちなみにアメリカでは試験合格した日から飛べるのである。

昔のBeeper

日本語でポケベル、だけど当時アメリカ在住だったのでBeeper(ビーッっと鳴るから)とかPager(Paging 呼び出しするから)と呼んでいた。

古い写真をスキャンしていたら

ベルトについているのがPager(ポケベル)

これで会社から呼び出されると 25セントコインを使い電話を入れる。

内容はたいがい

「明日のグランドキャニオンフライト、人数が増えて飛行機が足りなくなったから、機体を探せ」

もしくは

「ウチの機体が壊れたから、(他社)の機体を探せ」というもの

なので、ボロイので 「ボロシェ」とバカにされていたポルシェ914で会社に行き

飛行機探し(ネットは存在しないので、電話)をするわけよ

これが当社自慢のCessna421 GOLDEN EAGLE

与圧されていて、ライバル機よりも速い!

そんで、バスの運転手&コーパイ&現地ガイドで乗って行くのさ。

おかげさまで英語力が鍛えられました。

Mamiyaのポジ

フィルム時代最後のカメラマンとしてお仕事をしていたが、

飛行機を撮るのは当然35㎜ポジフィルム

しかし、ポスターなどに使用するには35㎜では解像力が足りず、6X7や645のポジフィルムを使用

なので海外ロケは6X7や645のカメラとレンズを持参せねばならず、今より荷物が格段に多い

 

そんなフィルムが押し入れから発掘された

よく鉄ちゃんは PENTAXの6X7の人が多かったが、重い

なので私はMamiyaでした。

645も確かMamiyaだった気が・・・

こんな写真、今さらどうするよ・・・

デジタル化しても使われないだろうしさ、ウチのCanon 900F MarkIIじゃスキャンできないぜ

 

ポラ(ポラロイド)切るのもMamiya645にポラパックをつけて機内食撮り

クライアント様に見せていた。

Mamiya7 プエルトリコのサンファンにて、2000年撮影

いや~こんな事を語っているということは歳を感じるぜ・・・

ザガート・ガビア撮影

昔のポジフィルムをデジタル化中

今も出入りしている調布のシーザートレーディングさんの、依頼で撮影したカットが

場所は確か深大寺だったと思う。

車はザガートしか記憶にないが、調べたらザガート・ガビアというらしい

撮影は1996年、当時1800万円の車

ま、中身はNISSANらしいけど

今じゃスマホで誰でも撮れるけど、

「海外オークションに出すからロールスロイス撮ってくれ」

とか、ポジフィルムで一眼レフで撮れるだけで、いろいろ頼まれた。

多分撮影機材はEOS1とかだろう

当時の自分の車はこれ、5700cc爆音コルベットでした。撮影場所は仙台空港。

ライカ病2

続:ライカ病 1996年

Leica Flex SL(中身はミノルタらしいが)わりと気に入って使っていた

☆もちろん飛行機撮影ではなく、LA在住時代のスナップ写真

都内でも1990年代撮影、Leicaを持つと、気分が変わる。

こういうのが撮れる、撮りたくなる。撮影地はポジのマウントに書かれた字によれば原宿らしい

自分で撮っているが、撮った記憶すらない・・・

これも撮った記憶はないが、Leicaならこういうシーンで撮りたくなる

Leica4S まあ、LAで買って少し使って日本で売れば利益が出た時代。

田中長徳先生もパリだがウィーンだかでライカを買って、日本で売っていたなんて記事を読んだ記憶があり

バブル崩壊していたが、インターネットはなかったし、そういう小遣い稼ぎができた時代でした。

こうして見ると、ライカも数か月おきに右から左に売っていたが(自分の目利きのみなのでリスクあり)

フィルムのいろんな安価なライカ、使用していて、今は手元にお世話になった方からいただいた

旧式のLeicaが手元に一台だけある。

なんか、Leicaっていいんだよね~、独特の気分になるし、構図が変わるぜ

(ただし飛行機撮影には向きません)

ライカ病1

若いころ、著名な写真家 田中長徳先生の本を読んだのと、

とにかく貧乏だったのでアメリカ往復しながら、(LA在住であった)

現地でカメラを買って日本で売り、差益を稼ぐというのを思いつき

ライカにはまった事がある。

Canon EOSじゃこんな写真撮らないが、Leicaなら撮ってみたくなるからビョーキである。

1996年撮影 Leica IIIa

Leica III f

24歳の若者にしては、なかなか渋いチョイスというか、売買のための趣味と実益の知識で

ライカを買っては売っていた。

今じゃ、価値はどうなんだろうか?

Leicaなら、こういう絵になる。こういう写真展あるでしょ(笑)

田中長徳先生の画もこういう「ふわっと」した写真をよく見る。

先生には足元にも及ばないが、ライカを持つとこういう画角になるので不思議である。

これがLeica病なのかもしれない。

締め切りはお盆明け

写真展が終わるまで、可能なものはオーダー仕事を待ってもらっていたので、

激務!

「お盆あけで締め切りお願いします」案件があり、毎日撮影だが台風来ちまったぜ!

この黄色い外来種?雑草?みたいなのはなんという花なんだろうか?

エア香港も少し前は夕方来ていたけど、今は朝に到着なのでキレイにA330が撮れる。

この日はA330-P2F 元旅客型

屋外で人との距離もあるので、安心な成田空港撮影であります。

羽田の展望デッキは、暑いと陽炎出まくりだが、成田でアスファルトがない場所なら陽炎は出にくい(さくらの山から滑走路側は距離があるので陽炎出る)

なので、成田三昧であります。