竹の鍬でスタートした方

昨夜、元空港反対派で後にB滑走路建設のために土地を売り、周囲にも協力を呼びかけた伝説の方がお亡くなりになり

お通夜に行ってきた。

直接その方は存じ上げないが、息子さんに大変お世話になっていて、息子さんと言っても60代である

 

そりゃあ昔は火炎瓶投げていたような方だが、結果的に空港建設に大変力を発揮した方なので、

空港会社上層部、周辺の市長、町長、議員さんなどそうそうたるメンバーが来ていた

その弔辞で(一部、私の頭の中の翻訳を含む)

「戦後、荒れ地(現在のB滑走路付近)に入り 竹の鍬で開墾、ようやく畑ができる状態になると、いきなり空港作るからどけとなり、反対派に

それでも最終的には地域のためにと土地を明け渡した」ということで

 

そりゃあ、竹の鍬(どんなのか想像もできない)で一から開墾して、畑にするまで大変な苦労があり、

そりゃあ事前相談もなけりゃ、これだけ苦労したのになめんなよ!と反対派になるに決まってんじゃん という感じで

やはりそんな歴史を知った上で成田で撮影させていただくという認識でなければならないと改めて感じた。

 

さらには、当時のエピソードとしてB滑走路用地を確保するために当時運輸大臣が来て、土下座をする案があり

運輸大臣に土下座をさせると、世間感情的に

「運輸大臣が頭下げているのに、農民は土地を明け渡さないのか」という図式になるため

運輸大臣が来たら、先にこちらが道路で土下座して

「これ以上農民をイジメないでください」という役回りをした方でもあった。

良いことばかりじゃないけど、そんな土壌の上になりたっている成田空港

奥が深いであります。

なので「まだ反対しているの」とか気軽に言えないさまざまな事情がある方もいる

ちなみにこの方はB滑走路の土地を明け渡したので、逆に反対派からは裏切者扱いされるため、自宅の警備も厳重

そのあたりなかなか難しい課題であります。