キヤノン部活イベント特別企画報告

月曜日(祭日)に行われたキヤノン部活イベント特別企画 オープントップバスでめぐる成田空港制限エリア撮影

車両は オープントップバスの日の丸自動車さんのスカイバス

メルセデスのシャシーに架装したオープンカー

バスの上からこんな感じで撮れる!

そんで、ドライバーさんが毎回成田空港制限エリアを担当しているヒコーキ好きの方で

さらには自分も一眼レフをかまえる人なので

「ここは光線が・・・」とか「タッチダウンを撮れる位置で」とか言うと、言いたいことが分かるわけ

例えば着陸機があり、停止はできないけど後続車がいなく迷惑がかからない場合

スローダウンしてこんな風に撮らせてくれる

すご腕で気が利く方、まあ個人情報もあるのでお名前は出せないが

コールサインは「チェリー」というドライバーさんである。

午前午後の二回転のツアー

CANON EOS R6 MarkIIの飛行機モード(AF)とRF200-800を現場で体験

結果「帰ってポチります・・・」という方もおられ

早めにオーダーしないと、レンズはすぐ来ないのでとりあえずオーダーしておいた方がいい

というわけで、今回も即満席になったので

今度は成田空港制限エリア撮影 秋にやります。

今日の一枚 C54アラスカで墜落

数日前の話だが、ネットのニュースで「軍用機C54型機がアラスカで墜落」

という見出しが出た。

当初は「軍の輸送機という見出し」記事もあり(ヤフーニュースのリンクで今も出ていた)

アメリカ軍の輸送機でC54なんか、もう使ってないぜ!と思って調べたら、やはり元アメリカ軍の輸送機で

ネットのニュースとか、やはりそのまま鵜吞みにしてはいけないし、専門外だったら信じてしまいそうな

ニュースであった。

まあニュースサイトに対して何か言うつもりはないが、ニュースでも注意しないとなということで

C54というので気になり調べてみると、元アメリカ軍の輸送機ではあるが

そもそも大昔の機体なので払い下げられた機体で民間名称はダグラスDC4

1940年代の旅客機で、パンナム、ノースウエスト、JALなどメジャーエアラインが使用

この手の機体は大好きなので撮っていないかレジを調べるとN3054V

アリゾナ州キングマンで2001年に撮影

美しいダグラスオリジナル塗装で、山火事消防で使用

その後アラスカエアフューエルという会社に転籍して活躍していた。

今回、この美しい機体が失われ残念。

しかし1942年製造なので製造から80年以上も飛んでいた機体。

こういう機体を事業でバリバリ飛ばす(代替え機もあまりない)アメリカってすげえな

今日の一枚 YC-15A

昔の写真のデータ化をしていると、わりとレアな機体を撮影している

場所はカリフォルニア州ロングビーチ空港

撮影は1997年なので、ロングビーチでバリバリ飛んでいた時代

光線は悪くポジフィルムなのでこれが限界だが、マグダネルダグラスYC-15 デモンストレーターとある

カラーリングはなかなかカッコいい

改めてYC-15型機を調べると、世界的な軍用輸送機C130の後継機になるべく1970年代に開発され2機がフライト

しかし計画中断になり1機はデビスモンサン(アリゾナ州)へ、もう1機はこの1997年に復元作業が行われ再び実験機にする予定が

また中止になったそうで、そのときのカットがこれ

現在この機体はカリフォルニア州エドワーズ空軍基地内にあるそうで、写真も探せば出てくる

まあ私はこの機体が軍の輸送機C-17に似ているので、C-17のデモンストレーターかと思ったが

そうではないらしく、しかしノウハウはC-17に活かされたそうである

これで民間機ならカラーリングも素敵だし、撮る気になるんだけどな・・・

なおC-17はこれね、オフィスの前から撮影。

ここの誘導路をセスナ152やPiper28でタキシングしていたけど、最悪他機とすれ違いができる広さだけど、たまにタイミングが悪く、こちらが操縦する小さいセスナ152の後ろにこのC17につかれると、つぶされそうで嫌なんだよな~

そんな思い出がある。

Piper スーパーカブの操縦

昨日の続きの話 パイパースーパーカブ

本日は操縦編 計器はめちゃくちゃアナログ

最近ようやくグラスコクピット(こういうヤツ)

にだいぶ慣れてきたので、一年ぶりのアナログ計器はとまどうぜ

とはいえ、私訓練生の席は後ろ(計器は見えないが操縦システムはあり)

ちなみにこの機は二人乗りで、前後に座席がある

上の写真のように水にザパーン!と入るときも衝撃はなく、なかなかおもしろい

左手でスラストレバー(エンジン出力、要するにアクセル)、操縦桿は右手でスティック(股の中央に見える)

ラダーは前席の横あたりにあるので、脚を広げて前席のあたりを探すが、なかなか難しい

だいたいさ、左手でスロットル、右手に操縦桿って、小型機乗りはめちゃくちゃ違和感あり

要するに車だとアクセルとブレーキが逆みたいなイメージで

一人乗りの飛行機は左手に操縦桿で、右手にスラストレバー

なので、エアライン経験者(右席)訓練を受けている人や教官(右席)でないと、めちゃくちゃ操縦しづらい

私の場合ヘリコプターのライセンサーなので、ヘリは右手操縦桿、左手スロットル(コレクティブ・ピッチという)

なので、いけるがヘリのライセンスを取る前なら、出来なかったぜ

だいたいさ窓をあけた状態なので、最高に気持ちが良い

怖いという感覚はない

だって万一のエンジン停止でも360度滑走路、どこでも降りられるので問題なし

ちなみに水上機は現在日本に3機のみ、

私が(いやほとんどのパイロット)もっているのは陸上機のライセンスなので

水上機は機長ができない

しかしアメリカに行けば1週間程度で今の資格に付与できる(飛ぶのは同じだから、水上機の知識と操作のみ)

真面目に水上機のライセンス取りに行こうかな!

テキストは20年前にライセンスを取ろうと思ってあるんだよね(当然日本に需要はないので日本語ではなく英語版)

コレ 夏の遊びには最高だな

ピッコロ0900 Show-up

お世話になっているキャプテンから、

「ピッコロに0900にショーアップね」という指令が

JST0900は日本時間9:00にショーアップ(集合)で飛行機用語だが

ピッコロって何?どこ?

と思いチャート(航空地図)を見ると

茨城県美浦村 霞ヶ浦のほとりに錨のマークで PICCOLO とある

そんなふざけた名前の場所だが、行くと

「元 帝国海軍 鹿島航空基地」のあと地で

施設がめちゃくちゃ残っていて、ピッコロは当時の航空隊(水上機)のスロープを使用

ここです。

まずは、この写真を撮る前に秘密の格納庫から機体を出して、飛べるまでにする作業があり、

私はフロートの中の水を抜く係りで、手動ポンプをシュコシュコやったので、筋肉痛間違いなし

ここはWikipediaによると、1944年 日本海軍「瑞雲」水上偵察機でここで訓練が行われ、

訓練が終わると「晴嵐」に乗って本任務につくようだ。

さらにはここから沖縄の特攻にも出ていたというし、カタパルト跡もあるそうで

 

地元の人いわく

「二式大艇」がこのそばに沈んでいるという噂もあるそうで、大戦機は私は専門外だが、

その方は十和田湖から引き上げられた「一式陸攻」のレストアにもかかわっている方なので、その可能性もあるのかもしれない

 

まああと50年早く産まれていたら、ここで訓練生だったかもしれないので、今平和に飛べるのを ありがたく思わざるを得ない

そんでこの機体は、当時は敵国の機体ではあるが、ここは仕方ない

 

尾翼にCUBと書かれているように パイパー(メーカー名)のカブ

初代カブは1938年に初飛行していらい、2万機以上が製造された名機

さらには、改良型スーパーカブになり、さらに製造、当機は私の調べが正しければ1989年型

スーパーカブっても、HONDAのスーパーカブではない(笑)

機体はめちゃくちゃ軽く簡素な作りだが、こんなのを1930年代に製造して、多少改良して今も飛んでいるって

アメリカの航空先進国の強さを感じざるを得ない

また国産ジェット旅客機を製造するというニュースが最近出たが、こういうジェネアビ

(小さな機体の飛べるところとか訓練施設、文化)が飛べる環境整備しないと、航空先進国にはなれないのである

私はパイパーはPA28ウォーリア、PA34セネカ、PA31チーフテンのコパイなどPiper機はわりと

操縦経験があるが、まったくの別物であった。

そのあたりの話は明日にでも

経歴詐称ではないが、学校がもうない

メディアでアメリカで詐欺を行った容疑者が 学歴詐称という報道がされているが

自分の場合は?と思うと 詐称はしていないが

すでに在籍していた飛行学校がかなり前に消滅してしまっている。

Pan Pacific Air Academy というカリフォルニア州ロングビーチのフライトスクールで、

日本で現在機長でバリバリ活躍している先輩、後輩の仲間も大勢いるが、問い合わせても学校がないし

WEBができる前なので、ネットで調べても出てこない

まさに経歴詐称みたいじゃんね(笑)

C150 Solo クロスカントリー (単独 ひとりぼっちで遠くまで飛ぶ)

東京から広島に行って着陸後、南紀白浜へ飛んで東京へ帰ってくるみたいな距離

さらには、その後勤務していた CRYSTAL AIR AVIATIONという会社も

メインのプライベートジェット CL601チャレンジャーを落として会社倒産

社長は行方不明

こちらも同じく、WEBで調べると CL601チャレンジャーの事故報道が出るくらいで

当時の仲間や名刺はあるけど、在籍の証明ができない。

これがオフィス、1階のガラスに社名が書かれている。左が墜落したCL601チャレンジャー

そう考えると、経歴を証明するって難しいよな・・・

元同僚の口コミと証拠写真、名刺、IDカードくらいしかないぜ。

 

皆さんは経歴証明できますか?まあ学校出てちゃんとした大きい会社に入っていれば問題ないけどさ

MITSUBISHI ZERO データ化

旅客機は専門範囲なので、やれB737-300だの、A330-200だの見れば分かるが

古い機体や軍用機は専門外

しかし、昔から軍用機は熱心に撮っていないが、珍しそうなものがあるととりあえず撮っておいた

こちらは2000年にモハビにフライトして隣に止まっていた機体を撮影

ゼロ戦っぽいけど、アメリカにはT6をゼロ戦色にして、AIR SHOWで飛ばして、アメリカ軍機と空中戦デモを行い

日本軍機がやられるというパターンが往々にしてあり、日本人としてはビミョーな気分になるので

似せた機体なのかゼロ戦のホンモノか見ても専門外のため分からないのであった。

なお機体番号はめちゃくちゃ小さく水平尾翼の下に書かれていて、N533TT

Nレジ(アメリカ籍)のゼロ戦(かもしれない)

 

そんで最近ゼロ戦のライセンスを持つB787パイロットにお世話になっていて、先日食事に行った際に

「もしかしてお乗りになっているゼロ戦ってN533TTですか?」と尋ね写真を見せると

「おお、これ僕がキャマリロから○○(地名を忘れた)までフェリーした機体で、今はミネソタかどこかのお金持ちが購入した機体です」

24年前に撮影した機体を最近近所のパイロットがフェリーしていて、ホンモノのゼロ戦だそうで

日本にも来た事があるゼロ戦だそうな

ちなみに翼端はウイングレットではなく、艦載機なので折れ曲がっているのか?と思いきや

エレベーターで空母の下に下す際にエレベーターの幅に合わせて、折れるようになっているとの事

日本には飛べるゼロ戦はないけど、アメリカには飛べるゼロ戦がある

まあゼロ戦をJAナンバーで飛ばしたら「戦争反対」なんて声も聞こえてきそうだが、

航空文化、航空大国アメリカとの差をこんなところでも感じます。

今日の一枚 コンステレーションN73544

ロッキード社の機体は星やギリシャ神話にまつわる愛称をつけていて

旅客機だとL1011トライスター

P-3 オライオン(日本語だとオリオン座のオリオン)

C-130 ハーキュリーズ(ヘラクレス)

L-188 エレクトラ

などがあるが、

最も美しい旅客機と言われた

L-049 コンステレーション(星座)

型式は749だの1049だのバージョンが変わるたびに型が変わるが、一貫して愛称はコンステレーションを使用

カリフォルニア在住時の1994年キャマリロという空港で屋根の上で機体を洗っている人に撮影許可をもらい撮影

しかしこの機体の屋根の上はあぶねえよ!

機体番号N73544 軍用機塗装でパッとしないし、この機体飛ぶのかな?

と思っていたら1998年 オンタリオ空港にてN73544

キレイな塗装になっているし、しかも飛んできているし

製造は1955年、このときすでに40年選手

キャマリロ(地名)コニー(コンステレーションの愛称)

Queen of the Skies 空の女王と書かれている

いや~カッコいいじゃん

美しいじゃん!

その後アリゾナで何度か見かけて撮影するも、この機体は美しく世界で飛べる最後のコンステレーションとあって

募金が集まり(私も出した)

欧州にわたり、ブライトリング(時計)の広告機に

そんで2017年にスイスで再会した

さらに今はどうなっているのか調べたら、現在売りに出ているらしく

やはりこの手の機体を維持するのは費用もめちゃくちゃかかるのだろう。

さて、この機、今後どうなることやら

またフライアブル(飛べる)で再会できるのか、動向を見守っていきたい。

なおコンステレーションは

1940-50年代にパンナム、TWA,ルフトハンザ、KLM、エールフランス、カンタスなどが使用した、名機で

大西洋、太平洋線に飛んでいた輝かしい機体という歴史がある。

 

 

空の港のありがとう 沖縄国際映画祭

日曜日は沖縄国際映画祭へ 成田空港が舞台の「空の港のありがとう」

制作委員会のメンバーとしてレッドカーペットを歩く機会に恵まれた

オフィシャル写真 中央は成田市長 左は主演の清水美沙さん

Yahooニュースにも掲載された

https://news.yahoo.co.jp/articles/bf6c7d9534f0fc7912467f5ebe4fbadf19908b00

配信もされていたし

WEBや新聞にも掲載された

5月の中旬より成田で公開開始

6月2日(予定)渋谷の映画館で飛行機ファンの日を用意計画中なので

ぜひお越しください。詳細が決まり次第アップします。

成田空港の人員不足に切り込む社会派映画、でもなかなか感動するよ

空港で働くっていいよ~

今日の一枚 デハビランド ヘロン データ化

デハビランド・カナダと言えばDHCで有名な カナダの航空機メーカーで

DHC8-Q400などで日本でも知られている。

でも「カナダ」がつかない時代の「デハビランド」はイギリスのメーカーで

旅客機も作っていた

2000年くらいまで、アメリカの空港巡りで2-3度出会い撮影したことがあり、当時はまだデハビランド機が残っていた

機体番号 N585PR 1956年製造 デハビランド・ヘロン

日本でも東亜航空が1960年前後に飛んでいた機体で、調べると福岡と広島に現存する機体(もちろん飛べない)があるそうで

今回これを書くにあたり、福岡の機体は公園にあるので良いとして、広島の機体(正確にはヘロンの仲間のタウロン)

は朽ち果てそうで、今ならクラウドファンディングで救ったりできないだろうか?なんて思うが

日本人は基本JAL/ANAでないとウケないのと、ジェット旅客機でないと興味ない人が多いから厳しいかもしれない。

ちなみに広島のタウロンは田舎のクリーニング屋さん工場の屋上にあるようで、元JASの前身の東亜国内航空のさらに前の会社で使われていたシップ

四発エンジン 製造は149機 旅客数最大14名

上の写真の撮影場所はプエルトリコの Fernando Luis Ribas Dominicci 空港というところで

そもそもプエルトリコなんか行く日本人はレアだが、飛行機撮りに私は行った。このプエルトリコのサンファン(治安がかなりビミョー)撮影で、

ついでに近所の空港探検もした際に出会った一枚である。

2000年撮影なので製造から50年くらいは経過しているが、当時はまだこんな初期のエアライナーとも出会うことができた。