BRANIFFの思い出

皆さんリモートワークでお時間に余裕があるのか、メールなどで初めての方から多数連絡をいただき「懐かしい写真で飲みながら思わずメールしてしまいました」とかアメリカで学んだエンジニアの方とお知り合いになり、飛行機の技術がキャデラックに活かされている話とか興味深く教えていただいたり、なかなかエンジョイさせていただいている日々

さて本題

FDAフジドリームエアラインズができるかなり前にさまざまな色を塗ったエアラインがあり、今でもBRANIFF展があると日本でも若い女性などBRANIFFを知らない世代にも人気

初代は1920年代~82年、復活ブラニフが83年-90年、再度復活ブラニフが91-92年、私の年齢では下1989年LAXにて 復活ブラニフがなんとか撮れた世代

三度目のブラニフは1992年フォートローダーデール(フロリダ州)

1992年マイアミ、ね、FDAみたいに丸ごと1色でしょ。

ちなみにグレーの機体は二年後モハビで再会することになる。

本当は70年代の全盛期に撮りたかったけど、72年生まれなので年齢的に無理だった。

悲壮感がないとダメらしい

カメラメーカーの方と昨日お話というか雑談をしていたのだが、ジョークではあるが「古庄さん、仕事9割減とか言っても悲壮感ぜんぜんないじゃないですか、もう学校写真のカメラマンさんなんて学校ないしスポーツ活動ないし大変ですよ」

とのことで写真家業界も大変らしい「物撮りは仕事あるがお姉さん撮影も仕事減」まあ密になるしね・・・

私の考えとしては、そもそも会社員ではないので定期収入ないし、In case腕を折った、足を折った、入院したという事態も想定済。昨年も石垣空港の山で「しまった、足折れたかも」という事態になったし(足をひねってくじいて多分ひび?」、蓄えはないがそういうハプニングで半年休業ということも想定内なので悲壮感はないが、仕事減をアピールするには悲壮感がないとダメらしい(笑)

さて、スキャンした写真で見比べ

上は現在のターミナル3より、下は1989年だから旧ターミナルのRWY04上り

1989年は羽田空港のANAの孫請け会社でバイトをしていたので、この大看板とかが懐かしいぜ、京急の旧羽田空港駅(今の天空橋付近)から歩いてB滑走路をくぐり東急ホテルと警察署の間のケータリング会社まで土日通っていた。

今帰国すると

昔の仲間がFamily EmergencyでLAから緊急帰国する必要があり、入国してどうなるのか情報が錯そう中、先日LAからの到着の仲間のお嬢さんをMeet & Assistしたときは、ふつうに出てこれたので、どうなるのか?と思いスタンバイ

私が在籍していたCRYSTAL AIRというプライベートジェット運航会社の日本人スタッフ社訓は

「できるできない聞いていない、やれ!」

「お前の意見は聞いていない、とにかくやれ!」

という超ブラック企業で私も手下にそう言っていたので、未だに「奴隷部隊の隊長」と呼ばれていることもあり、

神戸在住の元同僚でヘリパイより「〇〇ちゃんが羽田着で困りそうなんや、ヘルプしてくれへんか」(〇〇ちゃんと言っても同僚時代は30代だと思うが今や彼女も60代、ご主人はアメリカ人でHONDAJETの設計にかかわっていたが、すでに日本語がおかしくらいアメリカナイズされている)という指令

そんで入国して公共交通機関には乗れないのでPCR検査終了後に迎えに行くようにしていたが、結局ホテルに移送され14日間缶詰め。

私はスタンバイだけで行く必要がなくなったが、Family Emergencyなのに二週間隔離も気の毒である。

さてタイトルとは関係ないがナナマルの写真の対比、1990年シドニー空港

上の撮影場所は消滅しているので同じ場所からではないが、かなり近い場所より撮影、ビルの数がぜんぜん違う、シドニーのタワーの対比でみれば一目瞭然

同じ四発機でもナナマルからサンハチマルに変わりました。

散歩コースの一枚

なるべく日々歩くようにしているが、我がオフィスより徒歩10分でこんな景色がある。

この奥にポツンと牧場が1軒だけあり、話には聞いていたが一度行ってみようと思い散策

これだけ見ると、すげえ田舎に住んでいると思われるがウチは空港の横、ふつうの住宅街である。

ちなみにときどきではあるが、AM6:00にフルリバース(エンジン逆噴射・最大室力)するヤツがいて、ゆっくり寝たいので起きてしまい、「誰だよフルリバースしてるヤツは、ふざけんなよ!」と思うが、それも空港横ならではである。

まあもしかしたら後続機がありただちに滑走路離脱しなければならないのかもしれない。

さて、今日のナナマルは1996年マイケルジャクソンの東京?日本?コンサートの機体@NRT

二機で来たぜ

1機目はYR-JCB Operated by JARO International 元PANAM機1968年製造

B707-321B

二機目 N138AR B707-138B Comtran International 1959年型 元QANTAS機

ボディの長さが138と321で違うでしょ、どちらも畑ポイントにて

どちらかにマイケルジャクソンが乗っていたはず。ちなみに昨年パイロットライセンス・リカレントトレーニング(定期訓練みたいなもの)でマイケルジャクソンのネバーランド上空を飛んできたので、親しみがわくぜ。

ナナマルのスキャン初めました

B727のポジスキャンが終了、まあこの後もネタは出しますが、B707のスキャンを開始。私の年齢ではB707は正直そんなに撮れていない、

そんで対比、B滑走路の移転拡張は2000年供用開始なので、完全に場所が一致するわけではないが 下1992年撮影

92年11月10日、トーゴの政府専用機を撮りに京浜島へ、上はついでに撮ってたB737-200

滑走路を羽田拡張で以前とずらしているので、だいたいの場所イメージだが

今年三月撮影で、だいたい場所は同じ、こんなもんじゃないかと思われる。

こんな比べ方ができるのも長年撮っている楽しみ。

明日以降は少々ナナマルネタで行きます。

中南米の国名はエアラインで

昨日アビアンカの話を書いたが、ポジスキャンをしていて昔はエアラインで国名を覚えた、覚える気はなくても自然と覚えた。

おかげで吸収合併で一つの国ではなく複数の国のエアラインになった今も、古い癖というか記憶が出てくるので

「LAN」といえば「チリ」だし「アビアンカ」と言えば「コロンビア」と反応してしまう。でもさ表記しづらいよね、SAS=北欧三か国のエアラインみたいに、LATAM=南米のエアラインではしっくり来ず、ランチリとかアビアンカ・コロンビアとかのが分かりやすい

そんで、LABボリビア

TAMEエクアドル@ 上下ともにエクアドルのキト撮影

サービベンサ(ベネズエラ)もっとも当時ベネズエラのエアラインといえばVIASAがメジャーだったが

こちらは近年の撮影だがあえて旧塗装でアビアンカ

TACA、昔はエルサルバドルだったがこのSHIPはホンジュラスの旗がレジの前に見えるのでTACAホンジュラスだなとかややこしくなってくる。今やTACAもアビアンカに吸収、行先もエルサルバドルのサンサルバドルとかややこしかった。

ほかにもLACSAコスタリカ、有名どころでVARIGブラジルとかVASPブラジルとか、でも中南米の小国だとエアラインを維持するのは大変なんだな、それが現在の吸収合併に至る。このあたりを国とエアラインの関係で本ができなかな~、写真はありまっせ。

アビアンカChapter11

成田にも最近数回来ているアビアンカがチャプター11になったというNEWSが

Chapter11はアメリカの連邦破産法11条、破産だが再建もじゅうぶんにありえるし、米系大手はすべてチャプター11経験済、チャプター7になると終了。会社解体。

アビアンカはコロンビアのエアラインだがHoldingsがアメリカにあるからか、なぜかアメリカにChapter11申請となった

ついでに成田で散歩ついでに(天気が良いと歩くようにしないと太るからさ)撮影したものなど

もちろん緊急出動は車だが、誰にも会わないし、私にとっては仕事だし、ターゲット捕獲完了後、撤収してオフィスでポジスキャンの日々

下のメヒコなんて、この間、庭で木を切ってたら目の前をテイクオフ。右手にはカメラではなくチェーンソーを持っていたので晴れで撮影できず。

朝ついたサウジ

到着して1時間強で折り返していったBiman、私の知る限りでは二回来た

A社関係者の間では、これデリバリーされてどうすんだ・・・と聞いていたが、今や大活躍の777F

晴れていても基本ポジスキャンの日々であります。

ポジスキャンのチャンス

何事もポジティブに考えないと決まった給料がなく不安定な自営業としては普段からやっていけない。

今行っているポジスキャンは、当初は60歳を過ぎて仕事減になってからスタートしようと思っていたが、その時は多分スキャナーがボロで修理受付もとっくに終了。

当然新しいスキャナーは出るはずもなく、高いお金で業者に出すしかない、さらにスライドが日焼け、カビに侵食されており・・・となるので、引きこもりの今が後世に伝えるための貴重なポジスキャンをする上で重要な時だと思うことにしよう。

そんで今回のネタはB727-100 もう727はいいよ、知らないし飽きたよと言う人がいるかもしれないが、もうスキャンも終わるのでもう少しお付き合いを

中でも100型は私の年代では貴重、そもそも機数が少ないし小学生のころ熊本空港でJALの727-100を撮った(望遠なしなので豆粒のような機影)記憶しかなく100型に出会うと喜んで撮っていた。

97年マイアミ

93年ラスベガス UPS

トランプシャトルの面影を残すUS AIR Shuttle 94年モハビ

2001年アンカレッジ、YS11も持っていたReeveアリューシャン、

MGMグランドエアくずれの727-100 ラスベガスの巨大カジノグループMGMリゾーツが持っていたエアライン

ノーザンエアカーゴ@アンカレッジ

SAUDIA@マイアミ

短い100型もいいでしょ

ちなみに売り物を見てみたら1億5千万円程度でVIP仕様のものがあり、昔に比べりゃ安いぜ!SpecはMAXだけどMach0.9出るぜ!

エンジン換装済、騒音STAGE III対応なのでとりあえず飛べる。原油も下がった今が買い時かもしれません。ただしFEさん探すのに苦労しそうな気もするがアメリカ人なら資格者いるでしょ。

古いとなぜ高くなる?

オフィスに戻ると、来ましたよ・・・車の税金

ちゃんと払いますよ、しか~し、なぜ排気量が大きいと高いのですか?まあそこは良しとしても、なぜ古いと税金が上がるのですか?
古いものを大切にする。これがエコでしょう。

環境に悪いというなら、月に1-2度しか乗っていませんが。

今の車は壊れないんでしょ、なら13年オーバーでも大丈夫なんでしょ(13年をすぎると税金が上がる)

ウチのFLEETSで最も古いのは1995年型、それに続き1998年型、ガレージ保管であまり乗らないから迷惑かけない

ちなみに下の写真を見ていただければわかるが6750CCだから127,600円(1台)、次6000CC、5700CCって大排気量車ばかり

先進国でも日本は異常

https://bestcarweb.jp/news/business/1485


ひええええ~ 高額納税者だぜ!

写真はイメージです。727とLAS Vegasにてレンタカー

足車のコルベットより車窓 5700CC 1998年型だから15%アップ 

お宅のクルーザー空撮します

昨日のブログの続き、クルーザー撮影ミッションにはフェーズIIがあり

場外離着陸場にて二機のパイロットとオーガナイザー氏とブリーフィング

なぜ今回のミッションはJETヘリを二機も出しているのかと言うと、理由がある。

まずは私(撮影機)が上がり、続いてエアバスヘリコプターEC130がテイクオフしフォーメーションフライト、高度はこちらが上

下の絵が完成版

今後 「ヘリで〇〇に行き海鮮を食べてクルーザーに乗る旅」といったパンフレットに使えるでしょ

ただし動きものの写真をやっている人ならわかるが、超絶難しい。

航空写真の中でもヘリや軽飛行機のAir to Airが最も難しい、それはプロペラを回さないといけないから高速シャッターが切れない

さらにターゲットが小さい、

この状況で撮影前に瞬時にAir Speedと高度をチェック。Air Speedが速すぎるとレンズを出した瞬間に首にかけたカメラごともっていかれる。

そして撮影機、ターゲットヘリの高度を指示。直接言う場合は航空無線通信士の資格も必要となる。

レフトターン指示でヘリも超絶旋回中!ローターは回っているシャッター速度

練習をして何度も撮影やりたいところだが、ジェットヘリ2機+クルーザー出動なので撮影コストは甚大!!!

そのためクライアント様のためには直ちに撮影完了をさせたいところ。

いや~コロナが終息したら夏はこういう遊びをしていただければ素敵ですね。

ちなみにベッドルームが三部屋あるクルーザーでした。

買うのは無理でも、非日常の旅ならありでしょ。

セレブごっこができると思います。ツアー化されたらお知らせしますし、

皆様のご所有のクルーザーの空撮もします。さらにはヘリと並走して撮影したいというオーダーも本気で受けられますのでぜひ!